鬱でASDでADHDな男の入院報告Part4
おはこんばんちわ
入院報告最終章になります🙇🏻♀️
いやーーーー閃光のハサウェイみてぇなぁ!!!
それよりも専門時代の友達と久々に集まって呑む約束したからすげー楽しみだしそれのおかげでまだ生きていようと思えてる、ゲーム友達のおかげでまだ生きていようと辛うじて崖にしがみついてるそんな日々を過ごしていました。
今回のブログでは入院終わり間際の話や家族のこと
今後のこと書こうと思います。
よろしければ最後まで読んでいただけると
嬉しいです
あとバトオペに一番好きな機体のザクⅢ改が来て無事引けましたありがとうございますホンマに(前川)
退院するにあたっておさらい
鬱が進行してほんとに苦しかった。Twitterでもメンヘラにおわせツイートしか出来なくなるし自傷行為したり情緒不安定で泣いたり家族や元職場のトラウマから嗚咽感や動悸で涙流してた。
不安感緊張感焦り動悸嗚咽感頭痛ふらつきが常に遅い寝不足も重なり精神的に不安定でした
鬱としては根拠(理由)がわかる鬱という診断のため薬を多用するのではなく時間を使い休養することの方が大切だと主治医に言われ現状の薬の量は1日3錠と頓服薬の安定剤と頭痛薬だけになりました。全盛期の3分の1くらいですね。(まぁ寝れないので毎晩睡眠薬貰ってますが)
話が少し戻りますがここまで酷くなったのは
仕事辞めてからは家では親からの圧迫感がある生活が続き家族会議で何度も怒鳴られたり質問攻めに会いました。
さらにADHDやASDの症状である「自分の意見が言えない」を始めとしたコミュニケーションの下手さや父親というトラウマに悩まされどんどん悪化して何も言えず頼れずどんどん悩みや精神的普段が溜まり体調も悪くなるが家族には言えず、言えるはずがなく(言ったところで理解が得られないどころか反論される)
家族には小言を言われる日々を送り自分のことを伝えれず通院してる病院からは薬が増え過ぎて調整のため入院した方がいいとなったわけなんですね。
家族からしたら「なんで入院!?」みたいなわけで
先生の説明が行き届いてなかったって言うトラブルもありつつ入院に漕ぎ付きました。家族とも離れたかったし。
朝起きれないだけで怒られ不注意や多動性を責められ再就職を推されとてもメンタルケアできる環境じゃなく空元気で立ち振る舞い苦しんでるところは自部屋の片隅で隠してました。
入院してから
変わったり知った善し悪し
入院してからは暇な日々を過ごすことが多いのですが、相変わらず鬱々としてることは多く上記の通り自傷行為や嗚咽感不安感緊張感にトラウマから押しつぶされそうになって生きたくない気持ちの方が強かったです。あと元職場ではコミュニケーションが障害により下手なため周りから嫌われ陰口悪口、上司からは遠回しに仕事できない使えないと言われ
事務室からは冷たい目で見られる立場でした。辞める手前は事務室ではなく職員室の片隅で最低限の雑用をこなしてました。何かあればパートのBBAに難癖つけられ文句を言われました。なかでも発達障害とわかった時には上司(男)に「あのトラブルは発達障害があったからか!」と笑われました。当時は最高に狂って浴びるように酒が飲み寝てました。仕事が嫌すぎて過呼吸になったり吐いたり辛い思いをしました。
公務員って向いてないとほんと地獄やね
話を戻しまして、父にも幼少期から怒鳴られてよく質問攻めされるトラウマがあり今でも苦手です
発達障害や鬱に理解がなく興味もないよくいる頑固な感じです。自分が大事な人です。
入院環境下では多くの看護師やスタッフ、清掃員や他の患者さんがいっぱい居ます。そこで改めて感じ取ったのは対人恐怖と人間不信です
とにかく人の目が怖い、何か悪いように言われるんじゃないか思われてるんじゃないかとよくあるやつから始まり、人とすれ違うだけで緊張感と不安感に襲われます。共有スペースで喋ってる集団の近くのウォーターサーバーに行くだけで精神が削られます。気が休めることはなくスタッフの人も1人くらいしか話せなく辛かったです。
治った訳では無いですが、
でもスタッフのSさんが私の元職場のことや家族のことをしっかり聞いてくださって退院に当たるまで何かとサポートして貰えました。
本当に助かった
退院日前の結果報告会てきなもの
6/25(金)に父母が病院に来てスタッフのSさんとケースワーカーの方と主治医の方の3対2で私の発達障害の症状や職場での出来事、うつ状態で長い休養が必要であること、無理に矯正や催促などは厳禁であることなど説明してもらい、Sさんやケースワーカーの方から私の現状の苦しんでいるところを詳しく説明してもらいました。私はその場にいられない耐えられないので最後だけ顔を出しました。
父母はまぁ少し驚いてた感じだったそうで、まあそれもそうかって感じですね。
主治医はもうちょっと入院してもらいたい感じでしたが私の精神的負担から1ヶ月という形で退院に向けて調整してもらい、それにあたって自分と家族との間に決まり事?やお互いに認知しておかなければいけない約束みたいなものを共有してからの方が良いですとのことでSさん仲介の元やり取りをしました。
私のお願いは書いていけば書くほど遺書みたいになり辛くなりましたがSさんが綺麗にまとめてくれたした。家族からは基本的なことの要求(あいさつやスケジュール管理の共有)とのことでしたがひとつ譲れないのは部屋への侵入でした。障害の個性の中にもあるのですが自分のテリトリーを侵されたくないと強く思ってるのでそこはSさんも同意して絶対その方がいいですと、言われ安心しました。そのやり取りも無事昨日終わり、今日は通い直す精神科の病院の予約取りや退院の日時を決めたりなどしました。
明日の朝にはSさんが色々まとめた資料を作成したのをくれるみたいで本当に助かることだらけです。
退院後について
正直、元職場でやばい現場を引きやめて発達障害とわかりADHDとASDのダブルで家族には責められたり精神負担のかかる日常を送りズタズタの心はもう死にたいという発言で辛いです。辛うじてリア友との会う約束やゲーム友達との通話がまた出来るってので崖に手を着いてギリギリ耐えてる精神ですね。
友人にもたくさん不謹慎なことを言ってしまったりするくらいには情緒不安定で鬱です。もしかしたら数年後生きているかわからないです。1週間後も分からないのが現実ですが。家族がそれなりに理解してくれて家でゆっくり休めたらなと思います。
終わりに
ここまで読んでいただいでありがとうございます。
内容としては面白いものではなく鬱々としたメンヘラ自己満ブログですが自分の気持ちを吐き出すというのが最初の目的だったのでこのブログにも助けられました。私と仲良くしてくださってる皆様、これからもよろしくおねがいします。
追伸
酒飲みに行きたい