新卒で県職員(学校事務)になり、半年で辞めたあんなことやこんなことについて part1
おはようございますこんばんわございます
前回の初めてのブログたくさんの方に読んでいただいてあたたかいお返事沢山頂きました。非常にありがたい限りです。自己顕示欲が満たされます😌😌😌
バトオペ2で新機体が発表されリーク通りゲーマルクで予想どおり支援機でしたね、新スキルと武装見る限りめっちゃ壊れか使い勝手悪いけど使えれば強い系のどちらかじゃないかなぁ、バトオペ壊れる
今回は前回書いた通り仕事を辞めることになった経緯をメインに書こうかなぁって思います
注意)内容的には自己満のための発信や「こいつたかがこれ程度のことで辞めてんのかよ世の中舐めすぎだろ」と思う可能性が多く含まれると思います。
弱い人間なんだなー程度の思いで
見ていただけると良きです
公務員なるまでの生い立ち
小さい頃の私は「ゲーム作る人になりたい!」「料理人になりたい!」「絵を描く仕事をしたい!」とまぁどこにもいる少年でした。しかし私のクソ嫌いな父親からは「お前になれるはずがない、趣味を仕事にできる人は一握りだ、経済的に無理」と小学生低学年の私に怒鳴るように意見を押し付けめちゃくちゃ公務員を推され、日常的に私のポンコツ具合(今思えば発達障害の症状)を怒鳴って威圧されて成長した私はすぐウソをつき自分の意思意見は持たず言えずの
人間の形をした嘘まみれの空っぽな生き物
になりました。
発達障害の生きづらさを背負いながら公務員を目指す専門学校を友人の支えがありつつ無事卒業
(本当に感謝してる、いまのリア友いなければ卒業できてないと思う。学力的にも精神的にも)
学生期間中に「学校事務ってよさそやな、職場での上下関係あんまりないし、楽そうで基本的に休日祝日休みだし給与も特別高くないけど安定はしてるし」と思い、市役所や刑務官とか東京23区と5つ試験を受けて結果的に千葉県職員(学校事務)だけ全試験突破しました。筆記も調子良く面接もこれまでにない!ってくらい上手くいけました。
間違ってるかもしれないけど800人受けて150人採用
くらいの合格率だったと思います。
(間違ってる気がする)
公務員試験に受かったことはもちろん家族に喜ばれました。期待かけられプレッシャーがかかりました
配属先はほぼ東京に隣接するところで独り立ちするにあたって対して貯金がない私に最初で最後の資金的支援を家族にしてもらいました。その件については感謝しかないです。全て自費と言われたら不可能でした。感謝。
ここから鬱へ一直線
公務員(学校事務)になってから
配属先学校通知の電話が届いた時は専門学校の他県へ移ってしまうリア友とドライブしてる時でした。
まぁまぁ大きい学校でしたので配属人数の少ない学校事務ですが
県職員✖️2 パート勤務✖️2の4人体制で事務室にはプラス用務員の5人の中の一人になりました。
配属先ではコロナ対策のため児童への挨拶は手短でしたが自分が学校で働く側の人間になるとは、と実感しました(正直、渡された資料には〇〇先生と先生呼びでちょっと興奮した)
教員側への挨拶では小笑も取れつつ専門卒のため明らか最年少で「若い〜!」と揃って言われたのを覚えてます。あと職場で一番身長高かったです。
いえーい🤨
事務室は用務員の方が男でしたが事務の3人は女性でした。緊張しすぎてきょどりまくりでしたね。
世間はコロナの影響で在宅勤務もちらちらありました、楽でしたね。それで先輩の負担が増当てた反面もありましたが。
今更ですけど当たり前ですが辞めた職場では今でも先輩が働いてるのでプライバシーもあるのでほどほどで書きたいところですね。
ここまで書くのに二時間くらいかかりました。右手疲れた。読んでくれてる方も疲れるしこれ以上時間かけて見ていただくのも申し訳ないので仕事始めたところまでかけたのでpart1ということでこの辺で終わりたいと思います。
お酒飲みたいし
前回よりもだいぶ長くなりましたし、完璧自己満ブログです。ここまで見てくれた人は物好きか?(本当にありがとうございます、ガチで。)
退職について引きずりすぎるのもアレなのでpart2で終わり、発達障害にも詳しく書きたいなと思います、一人でも発達障害に理解が得られると
嬉しいので。
次回は仕事うまく行かなすぎてヤベーミス連発したりそれで発達障害分かったり、鬱で飯食えなくなり寝れなくなり呼吸困難になったりアル中ムーブかましたりゴミみたいな生活してたことを綴らたいと思います。次回の方が皆様が求めてるようなブログになると思います。
前座のような内容でかなり長くなりましたが前回に引き続き見ていただいた方本当にありがとうございます。ホンマに(前川みく🐈)
〜fin〜